卒業という選択

はじめに

本ブログは決してポジティブでも、読んですっきりするものでもありません。

読んでも多分いい事ないです。

苦しい気持ちになりたい人だけ読んでください(?)

 

卒業が発表されたあの日から丁度2ヶ月が経ちました。

 

2022.08.16

MeseMoa.の日にありがたいことに推しさんとゆっくり話す機会を頂けました。

 

オタクを何年かしているうちに変化した心境がありました。

嬉しいと思うこと、楽しいと思うことが増えたこと。

同じぐらい悔しい、悲しいと思うこと。

一緒に語り合える友人が増えたこと。

 

そして、諦めるということ。

 

私は諦めの悪いタイプの人間でした。

運はいい方だし、言霊は信じてるし、強く願えば何でも最後は叶うと思っていました。

でも人生どうしようも出来ないことって結構あるんですよね。

 

推しの生放送を見逃したり、チケットが取れなかったり

オタクになってからの数年は些細なことで病んでイラついてテンションはまるでジェットコースター

それでもその気持ちの中心は「推しが好き」。

 

誰になんと馬鹿にされようと貶されようと好きな物は好きだし、私さえその魅力を分かってればいい。

でもどう頑張ってもどうにもならないことってあるんですよね。

 

行けない現場は行けないし、見逃した生放送は追うしかない。

自分の力だけではどうにもならないことを沢山経験しました。

自分に出来ることは望みを強く願うことと、某運気の上がる画像にロック画面を設定することぐらいです。

 

感情が揺れ動く時同時に体力も消耗しますよね。

ライブの後の多幸感と疲労感。

今日は美味しいお酒が飲める、とか、よく眠れそう!とか

 

そんな感情を何度も経験するうちに、揺れ動く範囲が小さくなった気でいました。

しょうがないものは嘆いてもしょうがない

自分は物分りが良くなったのだと、諦めが早くなったのだと。

 

ですが今日わかったのは、全然諦められていないと言うこと。

 

本日推しのインタビュー記事が上がりました。

現場前にうっかり読んでしっかり泣いて

「泣かせないでよ~」なんて思っていた。

 

そしてライブを見て、思ってしまった。

 

どうして

どうしてこんなに楽しそうなのに

どうしてこんなに幸せそうなのに

どうしてこんなに沢山、あなたを好きな人がいるのに

 

あなたは卒業という選択をしたのか

こんなに悲しむ人が沢山いるのに、考えを改めてくれないのか

 

そんな気持ちで終演後になりました。

いつか考えがまとまったらお話しようとは思っていたのですが、せっかくだから感謝を伝えようって

あなたのおかげでって沢山言いたかった。

 

結果は口を開けばネガティブな事しか言えない気がして、泣いてしまって

自分が伝えられたのは「出会えてよかった」って言葉だけ。

 

発表から現場を重ねる度に薄れていたと思っていた気持ち、

実際には蓋をしていた自分の気持ちが溢れてきてしまいました。

 

あと何回私はあなたに感謝を伝えられるのだろう

何回苦しい気持ちになるんだろう

そして何回あなたのいないステージをグループを想像して絶望するんだろう

 

まあよく考えたら当たり前なんですよね、それだけ好きなんだから。

いつかこの気持ちさえ懐かしいと笑える日が来るのかな

今は思い出になることすら嫌だし、そんなこともあったねなんて笑える未来が来るとは思わないけど

 

諦めるのではなくゆっくり受け入れていこうと思います。

それまで多分何度も何度も泣いてしまうのだろうけど。